2015年4月19日日曜日

国境を通過する不思議な感覚

飛行機、電車、船などに乗って国境を通過した経験は何度もありましたが、
過日のオーストリア・ハンガリーのワイン産地訪問では自分でレンタカーを
運転して国境を通過する初の状況を体験しました。
ルートはハンガリー国内を西に進みSopron/ショプロンの手前で北上して
オーストリアのRust/ルストに向かいます。このルストはRuster Ausbruch/
ルスター・アウスブルックと言う糖度の高いブドウから造った甘口ワインを
17世紀以来、伝統的に名産とする街です。
ショプロンの北はオーストリア、西もオーストリア、南もオーストリアです。
今はこの様に国境が引かれていますが、オスマン帝国の時、オーストリア
・ハンガリー帝国の時、世界大戦の時は違っていました。今でもかつての
国境線の名残が一部ですが、記念公園として保存されています。




ルストではアポイントありのワイナリー訪問の予定はありませんでしたが、
オーストリアを代表するワイン、ルスター・アウスブルックがどんな風景の
中、造られているのか。ルスター・アウスブルックの為のブドウが出来る
自然の恵みをもたらすNeusiedler-see/ノイジードラー湖は言われている
様に浅く、葦が茂っている湿地の様な所なのか。それを知る為に訪れた
地です。



日本では市道の様な道でしょうか。北上し、ハンガリーからオーストリアへ
変る手前にはViszontlatasra!/ヴィソントラターシュラ=Good bye!=Auf
Wiedersehen!/アウフ・ヴィーダーゼーエンの標識が、そしてその先に緑色
の標識に間もなくMorbisch/メルビッシュ(国境沿いのオーストリアの小さな
街)との案内があります。更にその数メートル先に国境と思われる木製の
フェンスが道に対し直角に設置されていました。
これが国境か。物々しい建造物を想像していましたので、なんだこんなの
と言う感じでした。地続きで国境のない日本ですから、そこに暮らしている
人の感覚がどんな感じなのか判りません。国境は時と共に変わったりも
します。隣人が昨日まで同じ国民だったのに今日は別国民になっていたり
した事もあったはずです。
ルストの街は非常に居心地の良い街でした。陽が沈むと人の気配が全く
ない静寂さ。陽が昇り活動が始まり、陽が沈むと共に一日の活動を終える。
こんなナチュラルな生物の営みをしているエコな所です。
海外のワイン産地を訪問するとこの様な感じの街がほとんどです。必要の
ない外出はしない。意味もなく車を乗り回さない。自然を大切にする。環境
に同化して暮らす。見習いたい習慣です。
ルストの街中から2㎞ほど東へと進むとノイジードラー湖があります。予備
知識とは少しばかり異なりました。確かに葦が茂ってはいますが、水面も
ハッキリ見える所が中心部にあります。
ワインの銘醸地には必ずと言って良い位、川、河、湖があり、その水温の
影響が生育に良い環境をもたらします。ノイジードラー湖を囲み包む様に
ブドウ畑があるのがその証拠です。


ノイジードラー湖に昇る朝日です。冷涼、静寂の中、陽が昇るに従い、休息
していた鳥が活動を始めます。久し振りに鳥の飛び交う美しい風景を見て
自分達の周りにはいかに自然がないかを再認識しました。
のんびりとくつろいだひと時は終わりです。この日からまた毎日300㎞程の
走行でワイナリーを巡ります。この日に走行した道は日本では国道の様な
感じで、昨日の道とは全く違います。


オーストリアからハンガリーのショプロンへ入る手前が上の画像です。この
風景です。想像していたのは。EUになる前、いやそれ以前でしょうか。当時
はここに国境を通過する為の車が長い列を作っていたそうです。武装した
警官や軍人が不法者を厳重に監視していた場所の名残があり、洋画の中
に登場するシーンがそのままここで起こっていたはずです。昨日の質素さ
とは異なり、威圧感、物々しさを感じました。

次回からはBlaufrankisch/ブラウフレンキッシュの赤ワインのトップの造り手
Weingut Moric/ヴァイングート・モリッツの訪問記です。