数日前、ダイアナ妃の特集番組を見ました。今でも多くの人の
心に留まり続けています。人は2度死ぬのだそうです。1度目は
心肺停止の時。2度目は人々の記憶から消え去られてしまった
時。
26年間、ワインの世界に足跡を残して来ました(そのつもりです
が...。)が、人々の記憶に留まる様な事を果たして出来ている
のか?極少数でも良いから、出来ていれば幸いです。
しばらくの間、渡伊で不在にしていましたが、その直前にワイン
に非常に深い結び付きのある川島なお美さんがお亡くなりに
なりました。
川島なお美さんに初めて間近でお会いしたのは1999年12月9日、
第10回エンリケ航海王子賞ポートワイン・ソムリエコンクールの
決勝ででした。川島さんはゲスト審査員として、また、仮想客と
して決勝に進んだ選手に質問したり、その実技を審査したりする
役目を担っていました。
このコンクールに挑戦して3回目、遂に決勝に進出したのですが、
そこが決勝の場であると過剰に意識する事もなく、不思議な程、
冷静で周りにあるものが全て見え、感じられ、脳も冴え、完璧と
言えるまでのコンディションでした。
決勝は、先ず1種類のワインのブラインド・テイスティング、次に
ワインのデカンタージュをこなし、その後、審査員である仮想客
からの質疑に応答すると言うものでした。
ブラインド・テイスティングは正解にはなりませんでしたが、全く
の見当違いでなく、及第点。デカンタージュは手が震える事なく
パーフェクトと自画自賛できるまでの実技でした。
そして、ポルトガルのレストランでの接客と言う設定で下の画像
の様な場に臨みます。先程、デカンタージュしたワインの説明を
して下さい。ラベルに年号が入ったVinho do Porto/ポートワイン
がありますが、それはどの様なポートワインですかとの質問。
更には料理とワインの組み合わせのプレゼンテーション等々。
その日の状態を反映し、一つのよどみもなく、用意されていた
設問に全て回答し、しかも不正解なしだったそうです。
ポートワインのラベルに年号が...と言う質問にVintage Port/ヴィンテージ
ポート、L.B.V/レイト・ボトルド・ヴィンテージに加え、Colheita/コリェイタを
唯一、答えた事が決定打となり、優勝しました。
このコンクールの後、日本ソムリエ協会主催のワインアドバイザー全国
選手権大会で2度、同じ様な状況で川島さんと再会する事になります。
2003年の沖縄大会、第5回ワインアドバイザー全国選手権大会での
決勝の前に会場のホテルのロビーで川島さんと偶然、すれ違ったの
ですが、その時に「今度はこちらでですね。」と声をかけて頂き、感激
した事がありました。
また、3回目になる2005年の幕張大会、第6回ワインアドバイザー全国
選手権大会では声をかけて頂けると良いなと念じていた所、またもや
偶然にもすれ違うチャンスがあり、「今度こそですね。」と激励して頂き
決勝での実技に闘志を燃やしたものでした。
第5回大会では3位、第6回大会では準優勝で、エンリケ航海王子賞
の時の再現は果たせませんでした。
上の画像は川島なお美さんのワイン楽しみ実体験記です。1999年夏
に発売でした。この本にサインをして頂こうと購入し、ポートワイン・
ソムリエコンクールの会場に持って行くつもりだったのですが、店に
置き忘れ、決勝の後、折角、川島さんと少しばかりの時間、話をする
機会があったのですが、サインを頂く事が出来ませんでした。
誰もが、何もが、始まりがあれば、終わりがあるのですが、この本に
川島さんのサインを頂くチャンスは永久になくなりました。3位、2位に
甘んじているワインアドバイザー全国選手権大会で優勝し、「優勝、
おめでとう。二冠達成ですね。川島なお美」とサインしてほしかったの
ですが.....。
しかし3度の真剣勝負の場でお会いした川島さんの存在は私の記憶
にシッカリと残り、刻まれています。これから続くワイン・ビジネス、又
コンクールでの頂点を獲る挑戦を通じ、記憶に残るワイン・パーソン
になる様、精進して行きます。