2015年11月18日水曜日

川島なお美さんに見て頂いた真剣勝負

数日前、ダイアナ妃の特集番組を見ました。今でも多くの人の
心に留まり続けています。人は2度死ぬのだそうです。1度目は
心肺停止の時。2度目は人々の記憶から消え去られてしまった
時。
26年間、ワインの世界に足跡を残して来ました(そのつもりです
が...。)が、人々の記憶に留まる様な事を果たして出来ている
のか?極少数でも良いから、出来ていれば幸いです。

しばらくの間、渡伊で不在にしていましたが、その直前にワイン
に非常に深い結び付きのある川島なお美さんがお亡くなりに
なりました。

川島なお美さんに初めて間近でお会いしたのは1999年12月9日、
第10回エンリケ航海王子賞ポートワイン・ソムリエコンクールの
決勝ででした。川島さんはゲスト審査員として、また、仮想客と
して決勝に進んだ選手に質問したり、その実技を審査したりする
役目を担っていました。
このコンクールに挑戦して3回目、遂に決勝に進出したのですが、
そこが決勝の場であると過剰に意識する事もなく、不思議な程、
冷静で周りにあるものが全て見え、感じられ、脳も冴え、完璧と
言えるまでのコンディションでした。
決勝は、先ず1種類のワインのブラインド・テイスティング、次に
ワインのデカンタージュをこなし、その後、審査員である仮想客
からの質疑に応答すると言うものでした。
ブラインド・テイスティングは正解にはなりませんでしたが、全く
の見当違いでなく、及第点。デカンタージュは手が震える事なく
パーフェクトと自画自賛できるまでの実技でした。
そして、ポルトガルのレストランでの接客と言う設定で下の画像
の様な場に臨みます。先程、デカンタージュしたワインの説明を
して下さい。ラベルに年号が入ったVinho do Porto/ポートワイン
がありますが、それはどの様なポートワインですかとの質問。
更には料理とワインの組み合わせのプレゼンテーション等々。
その日の状態を反映し、一つのよどみもなく、用意されていた
設問に全て回答し、しかも不正解なしだったそうです。


ポートワインのラベルに年号が...と言う質問にVintage Port/ヴィンテージ
ポート、L.B.V/レイト・ボトルド・ヴィンテージに加え、Colheita/コリェイタを
唯一、答えた事が決定打となり、優勝しました。



このコンクールの後、日本ソムリエ協会主催のワインアドバイザー全国
選手権大会で2度、同じ様な状況で川島さんと再会する事になります。


2003年の沖縄大会、第5回ワインアドバイザー全国選手権大会での
決勝の前に会場のホテルのロビーで川島さんと偶然、すれ違ったの
ですが、その時に「今度はこちらでですね。」と声をかけて頂き、感激
した事がありました。
また、3回目になる2005年の幕張大会、第6回ワインアドバイザー全国
選手権大会では声をかけて頂けると良いなと念じていた所、またもや
偶然にもすれ違うチャンスがあり、「今度こそですね。」と激励して頂き
決勝での実技に闘志を燃やしたものでした。
第5回大会では3位、第6回大会では準優勝で、エンリケ航海王子賞
の時の再現は果たせませんでした。


上の画像は川島なお美さんのワイン楽しみ実体験記です。1999年夏
に発売でした。この本にサインをして頂こうと購入し、ポートワイン・
ソムリエコンクールの会場に持って行くつもりだったのですが、店に
置き忘れ、決勝の後、折角、川島さんと少しばかりの時間、話をする
機会があったのですが、サインを頂く事が出来ませんでした。
誰もが、何もが、始まりがあれば、終わりがあるのですが、この本に
川島さんのサインを頂くチャンスは永久になくなりました。3位、2位に
甘んじているワインアドバイザー全国選手権大会で優勝し、「優勝、
おめでとう。二冠達成ですね。川島なお美」とサインしてほしかったの
ですが.....。
しかし3度の真剣勝負の場でお会いした川島さんの存在は私の記憶
にシッカリと残り、刻まれています。これから続くワイン・ビジネス、又
コンクールでの頂点を獲る挑戦を通じ、記憶に残るワイン・パーソン
になる様、精進して行きます。